道路の昔と今 / 大阪府 吹田市

吹田ジャンクションの昔と今
名神が通る田畑から、万博を経て三つの高速道路の結び目へ

航空写真でたどる街と道路の変化 | 読了 約5〜6分

吹田ジャンクションでは、名神高速道路、中国自動車道、近畿自動車道が交わります。大きく曲がる接続道路のそばには、一般道へ出入りする吹田インターチェンジもあります。今の姿だけを見ると、最初からこの形で計画された一つの施設に見えるかもしれません。

ところが古い航空写真に戻ると、先に名神が通り、周囲の田畑が変わり、その後に道路をつなぐカーブが増えていきます。1970年の日本万国博覧会も、この場所を変えた出来事でした。五つの時期の写真から、道が増える順序を追ってみます。

1964年5月
田畑と池の間を、名神が通る

田畑と池の間を斜めに通る1964年の名神高速道路
1964年5月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。

白黒写真の中央を斜めに通る、幅のそろった道路が名神です。周囲には小さく区切られた田畑、まとまった樹林、池が見えます。現在のように大きな道路が横から集まる形は、まだ見当たりません。

名神の栗東〜尼崎間は、1963年7月16日に開通しました。この写真はその翌年です。名神がすでに車を通していた時期にも、吹田のこの一帯には農地の区画が広く残っていました。道路の完成と、沿道の街の変化には時間差があったことが分かります。[1]

豆知識 日本の高速道路は、この名神からNEXCO西日本は、栗東〜尼崎間を日本初の高速道路として紹介しています。吹田を通るこの道は、全国の高速道路網が広がる出発点の一部です。今は多くの道に囲まれていますが、写真をさかのぼると、最初の一本だった名神がはっきり浮かび上がります。[1]

1971年5月
万博のあと、風景が大きく変わる

幅広い道路や曲線状の接続路、大きな区画が現れた1971年の吹田付近
1971年5月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。

七年後の写真では、名神の左右に大きな区画が広がっています。中央には輪を描くような道路ができ、右からも幅広い道路が近づいています。田畑の細かな区切りが目立った1964年とは、土地の使い方が変わりました。

前年の1970年、吹田では日本万国博覧会が開かれました。吹田市の沿革には、開催に向けて中国自動車道や名神の吹田インターチェンジなどが整備されたことが記されています。写真の変化は、会場だけでなく、そこへ人を運ぶ交通網も一緒に造られた時代のものです。[2]

豆知識 万博の準備は、高速道路だけではなかった吹田市によると、万博に向けた交通整備には地下鉄御堂筋線の延長や、吹田操車場の地下をくぐる道路も含まれました。遠方から来る車、市内を移動する人、鉄道の利用者。それぞれの移動を支える整備が、同じ時代に進んでいたのです。[2]

1979年10月
道路を横切るだけでなく、曲がってつなぐ

名神と中国道の間に曲線状の接続道路が見える1979年の吹田
1979年10月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。フィルムの縁を避けるため、前後の写真より範囲を狭めています。

1979年の写真では、左から延びる道路と斜めに通る名神の間に、曲線を描く接続道路が見えます。本線を一度見つけてから枝分かれする道を追うと、交差する場所と、乗り移る場所の違いが読み取りやすくなります。

高速道路どうしは、上と下で交差しただけでは行き来できません。別の道へ移るために設ける接続道路を「ランプ」と呼びます。名神と中国道を結ぶ部分に注目すると、1971年の写真より、道路の組み合わせが増えたことが分かります。

一方、写真に道の形が写っていることと、その日に車が通れたことは別です。ここでは1979年10月の姿として見比べ、個々のランプの開通日までは写真から判断しません。

1994年5月
接続道路の工事が、既存の道路に重なる

既存道路の間に明るい工事部分が見える1994年5月の吹田ジャンクション
1994年5月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。

中央から右へ視線を移すと、横方向の道路の近くに、明るい色の帯状の工事部分が見えます。周囲にはすでに本線、カーブ、建物が並んでいます。何もない土地に道路を一本引く工事とは違い、既存の道路の間に接続路を加える段階です。

この場所の変化は、名神と中国道だけでなく、近畿道とのつながりも含めて見る必要があります。現在の案内図には、近畿道から名神・中国道へ向かう経路も描かれています。1994年の工事写真と最後の写真を比べると、中央付近を横切る道路が加わり、立体的な結び目が密になった様子が見えてきます。[3]

現在につながる姿
ジャンクションとインターチェンジが同居する

三つの高速道路と一般道への出入口が集まる吹田ジャンクション周辺
国土地理院「全国最新写真」から作成した保存画像。撮影年は未特定。

最後の写真には、斜めの名神と横方向の道路、それらを結ぶカーブが重なっています。道路の間には緑地が残り、周りには建物が密集しています。1964年の写真と比べると、道路が増えただけでなく、その外側の街も変わったことが分かります。

NEXCO西日本の案内は、この場所を「吹田JCT・IC」としてまとめています。高速道路から別の高速道路へ移る機能と、一般道へ出入りする機能が隣り合うためです。航空写真で複雑に見える線のすべてが、同じ役割を担っているわけではありません。[3]

写真をもう一度戻すなら、最初からある名神を目印にすると比べやすくなります。その周りに大きな道路が現れ、さらに接続用のカーブが増える。吹田の今の形には、街の拡大と道路網の整備が、段階を重ねて残っています。

場所
大阪府吹田市
交わる高速道路
名神高速道路/中国自動車道/近畿自動車道
名神の開通
1963年7月16日(栗東〜尼崎間)
街の転機
1970年の日本万国博覧会に向けた交通整備
写真で見る工事
1994年5月の接続道路工事

この場所から、車でどこまで行ける?

地図をタップした場所から、車で行ける範囲を時間ごとに表示します。

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出典・参考資料
  1. NEXCO西日本「名神開通50周年Tシャツ(第2弾)等を販売します」(2013年4月12日):名神の初開通区間・年月日。
  2. 吹田市「吹田市の沿革」:万博と交通整備。
  3. NEXCO西日本「吹田JCT・IC」案内図(PDF):接続路線と出入口。
  4. 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」、地理院タイル一覧:航空写真。位置合わせ・切り出し・縮小を実施。