道路の昔と今 / 京都府 大山崎町
大山崎JCTの昔と今
名神が横切る田畑から、京都の南北と東西を結ぶ分岐へ
大山崎JCTの曲線を見ていると、名神高速が最初から大きな分岐を抱えていたように思えます。けれども、古い航空写真にあるのは、田畑を横切って造られる一本の道です。名神の開通から、京滋バイパスとの接続、京都縦貫道の延伸へ。五枚の写真をたどると、同じ場所に異なる時代の道路が集まってきたことが分かります。
1961年
田畑の中に、道路を造る帯が延びる

白黒写真には農地の細かな区画が広がり、その間を明るい帯状の土地が斜めに横切っています。完成後の名神と見比べると、道路を造っていく位置をたどれます。現在のJCTの丸いランプはまだありません。
高速道路がない頃、と一言で片づけるには、すでに変化の大きい風景です。農地の境界とは異なる向きで、広い通り道が確保されています。既存の細い道や集落を手がかりにすると、新しい道路がどのように地域を横断するかが見えてきます。
現在の写真にあるカーブを探す前に、まずこの斜めの帯を覚えておきます。後から道路がいくつ重なっても、名神の線が比較の軸になります。
1963年
名神の道路の形が、はっきりする

二年後の写真では、田畑を横切る道路の幅と縁がはっきりしています。1961年に見えた造成帯が、連続する一本の道路へ近づいています。周りの農地がまだ広く残っているため、道路の規模が際立ちます。
名神高速の栗東IC〜尼崎IC間は1963年7月16日に開通しました。5月撮影のこの一枚は、その直前の姿です。道路がほぼつながって見えることと、一般の車が走り始めたことは区別して読む必要があります。[1]
1975年
道路のそばに、大きな建物が増える

カラー写真では、名神の南側に長い屋根の建物がまとまって現れます。農地の細かな区画とは対照的に、大きな敷地が一つのまとまりとして目立ちます。道路の周囲でも土地の使われ方が変わっていることが分かります。
一方、現在のJCTにある大きなループは見えません。名神はすでに地域を横切っていますが、ここで別の高速道路へ進むためのカーブは、まだ写真の主役になっていません。道路が通る場所と、道路が集まる場所との違いがよく表れています。
建物を目印にして2000年の写真へ進むと、どの土地に新しい曲線が入り始めたかを探しやすくなります。JCTの変化だけでなく、周囲の大きな敷地が変わらず残ることにも、比較の手がかりがあります。
2000年
既存の名神のそばで、分岐を造る

写真の中央には明るい工事用地があり、名神の両側に曲線の構造が現れています。すでにある大きな建物や道路の間へ、新たな経路を差し込むような配置です。最初から空いた土地に道路を一式置く工事とは違う、既存施設との位置関係が見えます。
京都市の事業進捗資料では、2003年8月10日に久御山JCT〜大山崎JCTが供用開始となっています。2000年の写真は、その接続を前にした建設段階です。名神を通過するだけだった場所に、京滋バイパスへ向かう経路が加わっていきました。[3]
上から見ると、曲線の道路がどこへ戻っていくかを一度に追えます。車で走るときには次の分岐しか見えませんが、航空写真では、進行方向を変えるために使う距離と空間の大きさが伝わります。
現在につながる姿
名神を軸に、南北へも道が分かれる

最後の写真では、名神を横切る方向にも太い道路が延び、その間を円や弧の形をしたランプが結んでいます。2000年の写真で工事用地だった部分にも道路の輪郭が収まり、現在につながる分岐の姿になっています。
2013年4月21日には、京都縦貫自動車道の沓掛IC〜大山崎JCT・IC間が開通しました。国土交通省とNEXCO西日本は、この接続を京都府の南北軸を強める整備として説明しています。名神と京滋バイパスが結ばれた後に、さらに北へ向かう道路が加わったわけです。[5]
1961年の写真に戻ると、今の複雑な曲線の下にも、初めに名神を造った斜めの帯の記憶が残ります。道を通す工事から、道同士を結ぶ工事へ。同じ場所で工事の役割が変わってきたことが、大山崎の写真を通して見えてきます。
- 場所
- 京都府乙訓郡大山崎町
- 交わる道路
- 名神高速道路/京滋バイパス/京都縦貫自動車道
- 主な節目
- 1963年7月16日 名神の栗東〜尼崎開通/2003年8月10日 久御山JCTと接続/2013年4月21日 京都縦貫道接続
