道路の昔と今 / 東京都 目黒区

大橋ジャンクションの昔と今
玉電の車庫があった街に、地下へ潜るループと屋上庭園ができるまで

航空写真でたどる街と道路の変化 | 読了 約5〜6分

目黒川のそばに、細長い輪の形をした大橋ジャンクションがあります。高架の首都高3号渋谷線と、地下を通る中央環状線をつなぐ施設です。その屋上には、公園として歩ける目黒天空庭園が造られています。

この場所の歴史は、高速道路より前から続いています。かつては「玉電」と呼ばれた路面電車の車庫が置かれていました。五枚の航空写真を手がかりに、地上を走る電車の街が、高架と地下を結ぶ道路の街へ変わる過程を見ていきます。

1961〜1969年
建物の間に、車庫の広い敷地がある

玉川通り周辺に建物が並び、中央にまとまった敷地が見える1960年代の大橋
国土地理院「空中写真(1961〜1969年)」を使用。年の範囲はレイヤーの収録年代で、個別の撮影年は未特定。

白黒写真には、斜めに走る広い通りと、その周囲に並ぶ細かな建物が写っています。中央付近には比較的大きな敷地があり、現在の楕円形のループはありません。後の写真でも、この通りと曲がる川筋を目印にすると、同じ場所を見つけやすくなります。

目黒区の文化財案内によると、大橋には玉電の車庫が置かれていました。玉電は玉川線の愛称です。車庫は走る車両を収める場所であり、道路や線路が集まる街の一部でもありました。航空写真だけで建物一棟ずつの用途は判別できませんが、土地のまとまりは見て取れます。[1]

豆知識 玉電には、砂利を運ぶ役目もあった目黒区の「玉電の歴史」は、多摩川で採取した建築用の砂利を東京へ運ぶことを、敷設の第一の目的として説明しています。通勤や買い物の足として親しまれた電車には、街を造る材料を運ぶという背景もありました。[2]

1974〜1978年
街を横切る高架道路が現れる

玉川通りに沿う高架道路が市街地を斜めに横切る1970年代の大橋
国土地理院「空中写真(1974〜1978年)」を使用。

カラー写真では、街を斜めに横切る太い高架道路が目立ちます。首都高3号渋谷線です。1960年代の写真と比べると、通りの上にもう一段、道路が加わったように見えます。右側では山手通りが曲線を描いて延びています。

玉電は1969年に世田谷線を残して廃止されました。その後、1971年12月21日に首都高3号渋谷線の渋谷〜東名高速道路接続部が開通します。これは3号線が初めて生まれた年ではなく、渋谷から先へ延びて東名につながった年です。[2][3]

ここで注目したいのは、高架ができても、まだ大橋ジャンクションの輪はないことです。東西方向の道路が整った段階と、別の高速道路へ曲がれるようになる段階には、長い間隔があります。

1988〜1990年
高速道路のそばに、輪のない敷地が残る

首都高と山手通りのそばに、まだ大橋ジャンクションのループがない1980年代末の街並み
国土地理院「空中写真(1988〜1990年)」を使用。

1980年代末の写真でも、斜めの高架道路と、川沿いの建物の並びをたどれます。一方、後にループが入る中央の土地には、まだその輪郭がありません。2009年度の写真と比べると、同じ街区の中にどれほど大きな構造物が造られたかが分かります。

大橋では、高架の3号線と地下の中央環状線を接続する必要がありました。平面の地図では、二つの線が交わればすぐつながりそうに見えます。しかし実際には、高さの違う道路の間を、車が走れる勾配で移動しなければなりません。

首都高速道路が説明する高低差は約70mです。街の中の限られた敷地で、この上下の移動に必要な距離を確保する。そのための形が、次の写真に現れるループです。[4]

2009年度
建物に囲まれながら、巨大な輪を造る

周囲の建物の間に楕円形のループ構造を建設している大橋ジャンクション
国土地理院「2009年度撮影の空中写真」を使用。開通前の建設段階。

中央に明るい色の輪郭が現れました。既存の高架道路のすぐ脇に、細長い楕円形の構造物が収まっています。周辺の建物や川筋を残しながら、街区の中心だけが大きく変わった様子が分かります。

大橋JCT〜西新宿JCT間の開通は2010年3月28日です。2009年度の写真は、その前の建設過程を写しています。高架から地下へ向かう道路の全体は上空から見えませんが、地上部の輪郭から、接続のために使う空間の大きさを読み取れます。[3]

豆知識 ループを覆う壁にも役割がある首都高速道路によると、大橋は約70mの高低差を2回転のループで結びます。ループを覆う構造は、大気や騒音など周辺環境への影響を抑えるためのものです。外観にはコロッセオを参考にした窓状の意匠を取り入れ、街に対する圧迫感にも配慮しています。[4]

開通後の姿
道路の上が、歩いて過ごせる場所になる

屋上の緑と周辺の建物が見える完成後の大橋ジャンクション
国土地理院「全国最新写真」から作成した保存画像。撮影年は未特定。

最後の写真では、ループの上に緑が見えます。ここに整備された目黒天空庭園は、2013年3月30日に開園しました。道路を通過する人だけでなく、近所に暮らす人が歩いて利用できる場所が、同じ構造物の上に生まれています。[5]

さらに2015年3月7日には、大井JCT〜大橋JCT間が開通し、中央環状線が全線でつながりました。2010年の開通、2013年の庭園開園、2015年の道路延伸は、それぞれ別の出来事です。大橋の完成を一つの日付だけで表すと、こうした変化が見えにくくなります。[3]

豆知識 屋上の庭に、目黒の農業の記憶目黒区の庭園案内には、かつて地域でタケノコ栽培が盛んだったことにちなみ、竹林を表現した「もてなしの庭」が紹介されています。道路の上の新しい公園にも、その土地の以前の暮らしを伝える工夫が入っています。[5]

訪ねるなら、目黒天空庭園は池尻大橋駅から歩いて約3分です。屋上を歩くと、航空写真の緑が人の過ごす場所であることを実感できます。開園状況は目黒区の案内で確認できます。[5]

場所
東京都目黒区大橋
接続する道路
首都高速3号渋谷線/中央環状線
中央環状線の開通
2010年3月28日(大橋〜西新宿)/2015年3月7日(大井〜大橋)
構造の特徴
約70mの高低差を2回転のループで接続
目黒天空庭園の開園
2013年3月30日

この場所から、車でどこまで行ける?

地図をタップした場所から、車で行ける範囲を時間ごとに表示します。

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出典・参考資料
  1. 目黒区「文化財めぐり(上目黒コース)」:玉電と車庫。
  2. 目黒区・目黒デジタル百科事典「玉電の歴史」:砂利輸送の背景と1969年の廃止。
  3. 首都高速道路「沿革・歴史」:1971年、2010年、2015年の開通区間。
  4. 首都高速道路「2013グッドデザイン・未来づくりデザイン賞/大橋ジャンクション」:高低差、ループ、環境対策。
  5. 目黒区「目黒天空庭園・オーパス夢ひろば」:開園日、庭園の構成、アクセス。
  6. 国土地理院「地理院タイル一覧」:各年代の空中写真。切り出し・縮小を実施。