道路の昔と今 / 埼玉県 三郷市
三郷JCTの昔と今
田畑の中に伸びた道が、常磐道・首都高・外環を結ぶまで
三郷JCTを上空から見ると、斜めに交わる道路の間に、丸い輪や細長いカーブが重なっています。初めからこの形だったわけではありません。先に常磐道と首都高がつながり、後から外環道が加わり、さらに南へ伸びました。五枚の航空写真をたどると、田畑の中に現れた一本の道が、方向を選ぶ大きな分岐へ育つ様子が見えてきます。
1961〜1969年ごろ
細長い農地が、画面を埋める

白黒写真には、細長い田畑が幾筋も並んでいます。その間を細い道が通り、建物は道沿いに集まっています。現在のJCTの大きな輪郭はなく、土地を小さく分ける線が風景の主役です。
後の写真を先に見てから戻ると、この細かな区画を斜めに横切る道路がどれほど大きいかを想像できます。高速道路は一本の帯だけでは収まらず、曲がるための接続道路にも広い場所を使います。何もなかった土地というより、農地や暮らしの道があった場所に、別の尺度の交通が加わったと見る方が写真に近い姿です。
この段階では、地上の小さな道が交差する場所と、将来のJCTの中心がどのように重なるかも注目点です。後の道路だけを追わず、周辺に残る区画を目印にしてみます。
1984年
斜めの道路と、接続路の輪郭が現れる

次の写真では、太い道路が農地を斜めに横切り、その脇に曲線の接続路が現れます。周囲にはまだ田畑がまとまって残っているため、高速道路の輪郭がくっきり浮かびます。現在の写真と比べると、交差する経路の数は少なく見えます。
首都高6号三郷線の小菅JCT〜三郷JCT間は1985年1月24日に開通し、常磐自動車道と接続しました。1984年9月の写真は、この接続の前です。舗装されたように見える道路があっても、供用開始の判断は写真ではなく道路管理者の記録によります。[1]
1989年
先にできた道路へ、別の線が近づく

1989年の写真では、先ほどの斜めの道路を残したまま、別方向へ伸びる帯状の空間が目立ちます。中央付近の曲線も増え、単に道路が続く場所から、複数の方向へ曲がれる場所へ変わり始めています。
NEXCO東日本の沿革には、1992年に東京外かく環状道路の美女木〜三郷間が開通したと記されています。この写真はその前の段階です。常磐道と首都高の接続を完成形とせず、さらに環状方向の道路を加えていく工事を見ていることになります。[2]
都心へ向かう道に、都心の外側を回る道が接続する。写真ではカーブが増えたように見える変化も、道路網の中では移動方向の選択肢が増える変化でした。
2006年
外環が南へ伸び、中央の形が複雑になる

中央の輪の周囲に、道路がさらに重なりました。1980年代の写真では農地が多かった場所にも、建物や舗装された区画が増えています。JCTの中心だけでなく、その外側の街の密度も変わっています。
2005年11月27日には、外環道の三郷JCT〜三郷南IC間が開通しました。2006年の写真はその延伸後です。それまで三郷付近まで来ていた外環道に、南へ続く区間が加わりました。写真の中で中央を抜ける線を追うと、JCTから先へ道が伸びる変化を確かめられます。[3]
現在につながる姿
道路の輪を囲む街も、姿を変える

最後の写真では、斜めに交わる太い道路の間を、複数のランプが結んでいます。中央の丸い形を目印にすると、1984年に見えた道路の向きが、現在の複雑な形の中にも残っていることが分かります。
周辺には大きな屋根の建物が並ぶ一方、小さな農地の区画も残っています。JCTができる前の写真と比べると、道路と街が同じ速さで一度に変わったのではなく、場所ごとに異なる変化が積み重なったことを読み取れます。
ここで交わるのは常磐道、首都高6号三郷線、東京外環自動車道です。首都高の路線紹介でも、三郷JCTがこの三路線を結ぶ地点として説明されています。大きな輪の見た目に加え、どこから来て、どちらへ抜ける道なのかを考えると、空から見た形を理解しやすくなります。[4]
最初の写真にあった細い土地の区切りを、最後の一枚でも探してみると、道路の外側に続く街の時間にも気づきます。
- 場所
- 埼玉県三郷市
- 交わる道路
- 常磐自動車道/首都高6号三郷線/東京外環自動車道
- 主な節目
- 1985年1月24日 首都高が常磐道に接続/1992年 外環道接続/2005年11月27日 三郷南ICへ延伸
