道路の昔と今 / 神奈川県 川崎市川崎区

川崎浮島ジャンクションの昔と今
海だった場所に陸地が広がり、湾岸線とアクアラインがつながるまで

航空写真でたどる海岸線と道路の変化 | 読了 約5〜6分

川崎浮島ジャンクションは、首都高湾岸線、東京湾アクアライン、神奈川6号川崎線が集まる場所です。湾岸を走る道と、海の下へ潜る道が、浮島町の海側で結びついています。

古い航空写真では、後に接続道路ができる一帯に水面が広がっています。ここでは道路の建設と同時に、足元の陸地そのものの変化を見ることができます。1997年のアクアライン開通、2002年の川崎線開通をはさみ、五枚の写真を見比べます。

1979〜1983年
工場の海側に、水面が広がる

工場やタンクの海側に水面が広がり、まだ道路のループがない川崎浮島付近
国土地理院「空中写真(1979〜1983年)」を使用。

写真の左側には、大きな建物や円いタンクが並んでいます。その先は海で、現在のジャンクションに見られる細長いカーブはありません。水面には色の違う部分がありますが、それだけで水深や海底の状態までは分かりません。

後の写真と比べる際は、工場側の岸の線を目印にすると位置をつかみやすくなります。道路ができる前から陸地だった部分と、その海側へ広がった部分があり、浮島町全体がこの時期に一度に造られたわけではありません。

川崎市の記録にも、浮島町や浮島地先の埋立地が、複数の時期に市域へ編入されたことが載っています。海岸線の変化を読むときは、隣り合う土地でも造られた時期や役割が違うことを押さえておくと、写真を理解しやすくなります。[1]

1992年10月
海の中に、道路を造る場所が現れる

工場の海側に矩形の陸地と工事区域が広がる1992年の川崎浮島付近
1992年10月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。

以前の水面に、四角く張り出した陸地が見えるようになりました。内側には明るい地面や、細長く続く工事部分があります。海側の先端にも、区切られた構造が見えます。完成後の写真とは違い、まだ道路の曲線より、土地の輪郭の方が目立ちます。

アクアラインを建設した東京湾横断道路の資料では、浮島取付部に、トンネルを掘るシールドマシンの発進基地となる立坑と、海底へ向かう斜路を設けたことが説明されています。上空から見える地上の工事は、海の下の道路を造る工事ともつながっていました。[2]

豆知識 海へ下る道路のために、特殊な盛土を開発浮島取付部では、軟らかい地盤を改良し、護岸の間にセメント・砂・泥岩を混ぜた盛土を施工しました。東京湾横断道路によると、海中でも固まる材料を開発して使ったものです。車が滑らかに地下へ下りる道の下には、地盤を安定させる工夫があります。[2]

1997年6月
細長いカーブが、海辺に姿を現す

埋立地の上に細長い曲線状の接続道路ができてきた1997年6月の川崎浮島
1997年6月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。アクアライン開通前。

1992年には地面の区画が目立っていた場所に、長い弧を描く道路が現れました。複数の線が分かれたり寄り添ったりしながら、海側の先端へ向かいます。周辺には明るい工事部分も残り、道路の形ができていく途中であることが分かります。

湾岸線の大黒JCT〜空港中央間は、1994年12月21日に開通しています。その後、東京湾アクアラインが1997年12月18日に開通し、川崎浮島で首都高と接続しました。写真はアクアライン開通のおよそ半年前です。[3][4]

湾岸線は海岸に沿って進む道路ですが、アクアラインは湾を横断します。ここでは、海沿いに走ってきた車が方向を変え、地下へ降りていきます。大きなカーブは、地図上で交わる二本の線を、実際に乗り移れる道路にするための部分です。

2002年1月
川崎線の開通を前に、接続路がそろう

複数の曲線状道路がそろい、川崎線の開通を控えた2002年1月の川崎浮島ジャンクション
2002年1月撮影。国土地理院の空中写真を切り出し。川崎線の殿町〜川崎浮島間は同年4月開通。

写真では、1997年よりも道路の曲線がはっきりつながって見えます。中央付近に新たな接続路が加わり、工場側へ延びる道路との関係も読み取りやすくなりました。アクアライン開通後にも、周辺の道路整備が続いていたことが分かります。

神奈川6号川崎線の川崎浮島JCT〜殿町間が開通したのは、2002年4月30日です。この写真は1月撮影なので、開通後の姿ではありません。形がそろって見える道路でも、供用前である場合があります。[3]

さらに殿町〜大師JCT間の開通は2010年10月20日でした。2002年の段階で川崎線のすべてが完成していた、と考えるのも正確ではありません。浮島側から先に開き、その後、内陸側の接続が加わった流れです。[3]

豆知識 海底トンネルには、車道とは別の避難通路もNEXCO東日本が紹介するアクアラインの見学資料には、トンネル内の緊急避難通路や、そこを通行できる専用の消防車が登場します。上空からは見えない道路の内部にも、万一に備える空間が設けられています。[5]

現在につながる姿
道路が見えなくなる先にも、道は続く

工場地帯の海側に複数の接続道路が集まる川崎浮島ジャンクション
国土地理院「全国最新写真」から作成した保存画像。撮影年は未特定。

最後の写真には、細長いカーブと、それに接続する道路がまとまって写っています。1980年ごろの写真と比べると、水面だった場所が陸地となり、さらに道路を支える土地へ変わった様子が分かります。

一方、アクアラインの海底区間は航空写真には写りません。見えている接続道路から、そのまま海上に橋が延びるわけではないのが、このジャンクションの特徴です。浮島側の地上部と、海の下のトンネルを合わせて考えると、道路が途中で姿を消す理由が分かります。[2]

写真を古い順に見ると、まず土地の輪郭が変わり、次に太い道路ができ、さらに接続のカーブが増えています。川崎浮島の歴史は、道路の形だけでなく、海岸線と土地の使い方の変化を一緒に記録しています。

場所
神奈川県川崎市川崎区浮島町
集まる道路
首都高速湾岸線/東京湾アクアライン/神奈川6号川崎線
アクアライン開通
1997年12月18日
川崎線の部分開通
2002年4月30日(川崎浮島JCT〜殿町)
川崎線の延伸
2010年10月20日(殿町〜大師JCT)

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出典・参考資料
  1. 川崎市上下水道局「川崎市水道百年史・川崎市の変遷」:浮島周辺の埋立地の編入記録。
  2. 東京湾横断道路「東京湾アクアラインの建設」:浮島取付部、シールド発進基地、地盤改良と特殊な盛土。
  3. 首都高速道路「沿革・歴史」:湾岸線、アクアライン接続、川崎線の開通。
  4. NEXCO東日本「東京湾アクアライン20周年〜地域に果たした役割と整備効果」:1997年12月18日の開通。
  5. NEXCO東日本「海底トンネルに潜入!東京湾アクアライン裏側探検」(2018年12月3日):緊急避難通路と専用消防車。過去の見学資料であり、現在の募集案内ではありません。
  6. 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」、地理院タイル一覧:航空写真。位置合わせ・切り出し・縮小を実施。