道路の昔と今 / 東京都 中央区
箱崎JCTの昔と今
川が囲んだ街に、高架道路と空港への乗り継ぎ拠点ができるまで
箱崎JCTの道路が複雑なのは、上から見るだけでは全体をつかみにくいからでもあります。6号向島線と9号深川線が交わり、その下には出入口などへ向かうロータリーがあります。では、高架ができる前には何があったのでしょう。航空写真をさかのぼると、街区を縁取る細い川が現れます。水辺の街が立体的な交通拠点になるまでを、五枚の写真で追います。
1966年
高架のない街に、細い川筋が残る

写真の右には幅の広い隅田川があり、左の市街地には小さな建物が密集しています。その間の街区を縁取るように、細い水路が見えます。現在の高架道路の曲線とは違い、水の通り道が土地の輪郭を決めていた頃の姿です。
中央区の資料には、箱崎川と浜町川の一部を道路敷地として埋め立てた記録があります。写真の川筋と、後の高架道路が通る位置を比べると、都心の道路整備が既存の水辺の空間と深く関わっていたことが分かります。[1]
右側の大きな川まで埋め立てたわけではありません。隅田川、そこへ続く小さな川、街の道路を見分けることが、この場所の変化を読む出発点です。
1971年
川筋に沿って、高架の道が通る

街区の上側を、滑らかに曲がる高架道路が通っています。1966年の写真と比べると、細かな建物の列のそばに、幅のそろった大きな線が加わった様子が鮮明です。周囲がすべて造り替えられたわけではなく、既存の街の縁に道路が組み込まれています。
6号向島線の江戸橋JCT〜向島間が開通したのは1971年3月21日です。この写真は同年4月の撮影なので、開通後の姿に当たります。ただし、まだ9号深川線は開通していません。高架が通るようになることと、二つの路線が分かれることは別の段階です。[2]
1975年
次の路線へ向かう形が見え始める

カラー写真に変わり、川と建物、道路の区別がつきやすくなります。高架の曲がる部分には、本道とは別に枝分かれするような線が見えます。後の写真と見比べると、隅田川を渡る方向へ道が増えていく位置を確かめられます。
この時点の道路を、現在の案内図のままに読んでしまうと、まだない接続まで想像してしまいます。9号深川線の開通は1980年。写真で見える接続部の形と、実際に車が走れるようになった時期を分けて考える必要があります。[2]
建物が密集する場所では、新しい道路が増えても地上の区画が一見変わらないことがあります。道路の影や曲線の端に注目すると、街の上にもう一つの交通空間が重なる様子を追えます。
残っている川沿いの街区を目印にすれば、高架の曲線に目を奪われても、年代の違う写真で同じ地点を見失わずに済みます。
1979年
隅田川を越える経路が形になる

隅田川を横断する高架が、左岸側の曲線につながる形で現れています。1966年の写真にあった街区と川の関係を残しながら、その上を道路が越えていきます。川沿いに進む道に対して、川を渡る道が加わる変化です。
9号深川線の箱崎JCT〜湾岸線新木場間は1980年2月5日に開通しました。1979年11月はその前の撮影です。橋の形がつながって見えても、完成後の交通を写した写真ではありません。ここで湾岸方面へ向かう新しい経路が準備されていました。[2]
現在につながる姿
街の上と下で、異なる交通をつなぐ

最後の写真では、川を渡る道と川沿いを進む道が滑らかなカーブで結ばれています。建物の屋根が増え、高架の下には見通せない部分もあります。輪郭は見えても、車がどの高さを走っているかまでは、真上の写真だけでは分かりません。
この一帯には、成田空港・羽田空港と都心を結ぶバスターミナル、東京シティエアターミナルがあります。高速道路を通り抜ける車だけでなく、街から空港へ向かう人も集まる場所です。航空写真に写る道路の結び目には、乗り物を乗り継ぐ役割も重なっています。[4]
なお、首都高は2024年12月9日に箱崎ロータリーの信号機を撤去し、一部区画線を変更したと案内しています。保存写真で昔の姿を楽しむことと、今の走行経路を知ることは別です。現在の利用方法は道路管理者の案内図で確かめられます。[3]
- 場所
- 東京都中央区日本橋箱崎町周辺
- 交わる道路
- 首都高6号向島線/9号深川線
- 開通の節目
- 1971年3月21日 6号向島線/1980年2月5日 9号深川線
- 構造の特徴
- 本線の接続部の下層にロータリー
出典・参考資料(航空写真は切り出し・縮小。補描・生成なし)
